ブックタイトル塾新聞 2014年第3号

ページ
6/8

このページは 塾新聞 2014年第3号 の電子ブックに掲載されている6ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

塾新聞 2014年第3号

塾新聞2014年(平成26年)5月1日 第3号6駅を出ると券売機の横に桜井が立っていた。桜井の会社、サクラ不動産は駅から徒歩五分のビルにあった。想像していたより大きく、ビルのワンフロアーを借り切っている。「社員三十二名、年商三億二千万の不動産会社だ」桜井は応接室でコーヒーを飲みながら言った。「しけた面をしてるな。子供たちを護るとテレビ、新聞で息巻いてた岡本敏之はどこに行ったんだ」黙っている岡本の顔を覗き込んでくる。「教師が世間知らずだと言われてるのは本当だった。思い知らされたよ」これは本音だった。学校を閉鎖された小社会と書いたマスコミがあったが、たしかにその通りだった。自分はその檻の中でうろうろと歩き回る、オランウータンにすぎなかった。ボスは別のオリにいる教育長だ。「今度、学習塾を経営することになった」ヒデが言った。桜井の言葉に、岡本は持っていたコーヒーカップをテーブルに置いた。課題の提出を怠る、授業態度が散漫である、挨拶もおろそかになってきた。生徒の問題点を把握した講師が、タイミングを見計らって指導するのは、指導者として当然の子供の教育などからはまったく遠い存在のはずだ。「おまえが教育に関心があるとはな」「関心なんてないよ。余ってる物件があるんだ。フランチャイズの学習塾をやらないかと話があった。必ず儲かると強く口説かれてね」「素人が金だけ出してやれるものではないと思うが」「それがやれるんだよ。教師は本部が紹介してくれるそうだ。生徒も集めてくれる。俺は場所と金を出すだけ」「じゃ、やればいいだろ。せいぜい頑張ってくれ」「おまえ、塾長をやらないか」桜井が岡本を見つめている。浮かべていた薄笑いが消え、その目は真剣だ。岡本もソファーに座り直して背筋を伸ばした。「教師業は懲りてる。俺が子供に関わっちゃいけないんだ。俺のせいで一人の生徒が死に、複数の子供の将来を奪った」「それは言いすぎだろ。俺には死にたくなる奴の気が分からない。特に、子供の……。俺たちの時代には子供の自殺なんてなかった。子供は叩かれて強くなるんだ」岡本が二年間考え続けてきたことだ。初めは桜井と同じような認識しかなかった。しかし、裁判が進むにつれ、当事者の声を聞くにつれて考えは変わっていった。「社会が変わってる。同時に、子供も変わってるんだ。教師はそれに対応して行かなきゃならなかった。俺にはそれが出来なかった。自分のクラスで何が起こっているか、気づいてさえいなかったんだ。いや、気づくのを恐れていたのかもしれん」「中学からの夢だろ。先生になるっていうのが。学校でも学習塾でも、先生に変わりはないだろ」「夢と現実は違いすぎた」「それに気づいただけでも賢くなったんだ。大進歩だ。今度はもっと違う教え方ができるだろ」「違う教え方か。そうだろうな。しかし、やっぱりやめておく。俺は二度と子供たちの前に立たないと決めてる」それは本音だった。自分が何をしゃべろうが、何をしようが、それは子供たちの心には響かない。「不動産屋で雇う気はないか」「人には適性ってものがある。もう一度ゆっくり考えてみるんだな」三十分ほど話して岡本はビルを出た。通りに出て行き交う人々を見ると、軽いめまいを感じた。久しぶりに人に会うと疲れたが、忘れていた何かを取り戻したような気がした。学習塾の教師か。呟いてみたが、どうもしっくりこない。「今日は夕食を作るか」思わず口に出していた。「帰りにスーパーに寄ろう」声を聞くと、忘れていた何かが心の奥にふっとよみがえるような気がしてくる。岡本は軽く息を吐いて駅に向かって歩き始めた。「何かあったの」■高嶋 哲夫(たかしま・てつお)1949年、岡山県生まれ。慶應義塾大学工学部卒業、同大学院修士課程修了。日本原子力研究所研究員を経て、カリフォルニア大学に留学。1979年、日本原子力学会賞技術賞受賞。1994年、「メルト・ダウン」で第一回小説現代推理新人賞、1999年、「イントゥルーダー」で第16回サントリーミステリー大賞・読者賞を受賞。主な作品に、「M8」「TSUNAMI 津波」「ミッドナイト・イーグル」など多数。現在、『首都崩壊』(幻冬舎)絶賛発売中!!リターンマッチ③高嶋哲夫帰って来た明美が岡本とテーブルを交互に見て言った。テーブルには四人分のトンカツとサラダ、味噌汁が並んでいる。「寝てばかりじゃ身体に悪いと思ってな」「やっと気付いたの。鏡見てご覧なさい。メタボの中年親父」「子供たちは」「ここ半年、ずっと家にいて気がつかないの。美加子は塾。貴之はクラブ。二人とも帰りは七時すぎ」日常は危険であふれている③弁護士 青島克行務めである。生徒の将来を思っての厳しい言葉であれば、それが言葉の暴力ではないことを伝えなければならない。指導内容が社会通念上許容される範囲内のものである限りは(要は、常識の範囲内である限り)、法的責任を問われることはない。毅然たる態度で、塾としての良心を伝え、最後に生徒の心が晴れてくれれば、雨降って地固まる、である。もっとも、講師の言動がいきすぎていれば、教育者といえども法的責任を問われることになる。いわゆる引きこもりの子どもの教育施設における指導方法の違法性が問われた裁判では、寮を抜けだした生徒が連れ戻された際、罰として丸刈りにさせたり、帰寮した際にこづかれたりした行為について、たとえ教育的効果を求めて行なった行為であっても、社会通念上許容される範囲を越えた体罰であるとして、その違法性を認め、施設側の損害賠償責任が肯定されている(名古屋高等裁判所平成一九年九月二六日判決)。また、教師に対して反抗する、ランドセルを投げつける、教室を飛び出すなどの問題行動を繰り返していた小学五年生の男子生徒が、担任の女性教諭からの体罰直後に自殺してしまったという事例では、女性教諭が、他の女子生徒を叩いたとの咎で、男子生徒の胸ぐらを両手でつかんで体をゆする行為を行なったことについて、後の裁判でこの行為が「体罰」にあたると認定されている。この事例では、体罰直後に「帰る」と言う男子生徒に対し、女性教諭が「勝手に帰んなさい」と大声で言い返しており、さらに教室を飛び出した男子生徒が再度戻ってきた際にも、女性教諭は「何で戻ってきたんね」と怒鳴ってしまったという事情がある。判決文では、体罰後の女性教諭の一連の発言、態度についても、男子生徒に徒に精神的苦痛を与えるものでしかありえない、教員に許容される懲戒権の範囲を明らかに逸脱した違法行為である、体罰とともに男子生徒の自殺の直接的な原因であると認定され、市側の賠償責任が肯定されている(福岡地裁小倉支部平成二一年一〇月一日判決)。これらの事例で、指導者が、生徒の指導に熱心であったことについて疑いの余地はないように思われる。しかし、思うにならない生徒の言動に対し、つい感情にまかせて生徒を突き放すような言動にでてしまえば、生徒の心に傷を残してしまうだけでなく、教育者としての地位すら失いかねない深刻な制裁を受けることになる。人一倍熱心だったが故に、淡々としたタイプの指導者が決して負わされることのない責任や不名誉を負う、ということだけは避けていただきたいと強く願うものである。『言葉の暴力』 先生の言葉の暴力でうちの子は大きなダメージを受けました。そんな言葉を保護者から言われたらどうするか。思いもよらない責任追及に、教育者としての力量が問われる。